マイクロ・クレデンシャルはニンジンか?フェロモンか?
2023年1月20-21日、関西大学IIGE国際フォーラムに参加してきました。
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このフォーラムの話題の中心は、マイクロ・クレデンシャルでした。
クレデンシャルというのは、資格とか認定証といった意味です。
大学の学位のように、多くの要素がパッケージ化されていて、修了するのに何年間もかかるようなものを、マクロ・クレデンシャルと呼ぶのに対し、細切れになっていて、短期間で習得できるようなものを、マイクロ・クレデンシャルと呼びます。
変化が激しい時代になり、これまで身に着けた知識やスキルがAIに代替されるようになったり、陳腐化して無価値になったりすることが頻繁に起こるようになったため、短期間で必要な知識やスキルを学び直し(リスキリング)していくのが必要だということで、マイクロ・クレデンシャルが注目され始めています。
マクロ・クレデンシャルである学位を認定する機関としての大学に対して、マイクロ・クレデンシャルを認定して発行する機関は、大学だけにとどまらず、産業界や、様々な現場になっていくでしょう。現在、産業界の教育ニーズと教育界のプログラムとのミスマッチがすでに起こっているので、産業界が自分たちで必要な人材を育成するプログラムを作り、マイクロ・クレデンシャルを発行していく流れは、合理的だと言えます。
また、マイクロ・クレデンシャルが、機関横断的に意味を持つためには、ブロックチェーンに記録するなど、Web3.0の技術を活用して、インターオペラブルに活用できるようにする必要があります。そのような規格の国際的な標準化などが、今まさに模索されているのだということを2日間のフォーラムを通して理解することができました。
マイクロ・クレデンシャルは、ニンジンか?フェロモンか?
それらの動きを踏まえたうえで、私自身にとって重要な問いが生まれました。
私たちが近代社会の次にやってくると考えている参加型社会とは、固定的なアルゴリズム社会ではなく、ダイナミックなライブ社会です。
国家や産業界が設計したアルゴリズム的な計画があり、そこに必要な人材を集めるために、これまでは学位というマクロ・クレデンシャルを利用してマッチングをしてきたが、計画変更のスピードと教育のスピードが合わなくなってきたので、教育の流動性を高めるためにマイクロ・クレデンシャルにしてスピード感を出していくという議論は、あくまでも設計している側の論理であり、社会で生きている個人個人の想いから出発したものではありません。個人が社会システムに参加させられているという点では、近代社会の論理の延長線上にあります。
ライブ社会とは、生きている私たちの交流によって、ハイエクの言う「自生的秩序」が生まれてくるような社会です。そこには、固定的なアルゴリズムは存在せず、ダイナミックな動きの痕跡だけがあります。その痕跡から生まれる文脈が、ダイナミックな動きがバラバラにならないようにより合わせる働きをするのです。ブルーノ・ラトゥールは、アクターネットワーク理論を用いて、社会の捉え方をダイナミックなものへと捉え直すことを提唱しました。
設計主義の観点からすれば、マイクロ・クレデンシャルのオープンバッジは、人々を設計通りに動かすために目の前にぶら下げたニンジンとして捉えられるでしょう。一方、参加型社会の観点からすれば、アリがフェロモンをまき散らしながら動き回っているうちに、行列や巣が出来上がっていくプロセスにおけるフェロモン(=マイクロ・クレデンシャル)として捉えられるでしょう。
アフターコロナにおいて、近代社会が終焉し、Web3.0の技術に支えられた参加型社会が出現するとき、マイクロ・クレデンシャルのメタファーが、ニンジンになっているのか、フェロモンになっているのかに、私は注目したいと思います。
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